書籍
上田泰史
パリのサロンと音楽家たち ~19世紀の社交界への誘い~
出版社 カワイ出版
品番 KWID02
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19世紀前半のパリの様子から始まり、当時の音楽家にとってサロンとはどのような場所で意味を持っていたか、図表を多く用いてわかりやすく解説している。二部構成となっており、第二部では著者のパリでの留学での研究対象であるヅィメルマンのサロンにも言及している。
<まえがき>
ようこそ、パリの社交界へ。 一九世紀前半、若手音楽家たちにとって、サロンは、名声と人脈を勝ち取るために避けては通れない登竜門でした。多くの文化人を受け入れ、彼らを金銭的にも精神的にも支えたのは、同郷の亡命貴族であり、大銀行家のような裕福な市民であり、芸術仲間でした。音楽家の才能を受け入れ、評価し、活躍の舞台を提供してくれる人々が催す社交的な集まり、それがサロンでした。
まだ音楽の国際コンクールはなく、市民のための国立音楽学校も数えるほどしかなかった当時、フレデリック・ショパン(1810~1849)やフランツ・リスト(1811~1886)のような外国の若手音楽家は、長旅の末、才能だけを頼みの綱としてパリの石畳を踏んだのでした。パリに到着して間もない彼らにとって、才能の次に重要だったものは、なんでしょうか。おそらくそれは、サロンへの紹介状だったはずです。なにしろ、どんなに才能があっても、それが高く評価されなければ活躍の場がないのですから。(上田泰史)
<まえがき>
ようこそ、パリの社交界へ。 一九世紀前半、若手音楽家たちにとって、サロンは、名声と人脈を勝ち取るために避けては通れない登竜門でした。多くの文化人を受け入れ、彼らを金銭的にも精神的にも支えたのは、同郷の亡命貴族であり、大銀行家のような裕福な市民であり、芸術仲間でした。音楽家の才能を受け入れ、評価し、活躍の舞台を提供してくれる人々が催す社交的な集まり、それがサロンでした。
まだ音楽の国際コンクールはなく、市民のための国立音楽学校も数えるほどしかなかった当時、フレデリック・ショパン(1810~1849)やフランツ・リスト(1811~1886)のような外国の若手音楽家は、長旅の末、才能だけを頼みの綱としてパリの石畳を踏んだのでした。パリに到着して間もない彼らにとって、才能の次に重要だったものは、なんでしょうか。おそらくそれは、サロンへの紹介状だったはずです。なにしろ、どんなに才能があっても、それが高く評価されなければ活躍の場がないのですから。(上田泰史)